10周年記念文集 of VIVA CAMPER CLUB

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<ビバ!キャンパークラブ
10周年記念文集 1991.12.15> より転載

目次

は じ め に                   金澤 寛太郎・・・・・1


会報にみるVlVA10年史

スオミの友とキャンプして              山本 峰夫 ・・・・・2
ビバも役目を果たす                 渡辺 浩  ・・・・・・4
自然流簡単派                    鈴木 得四・・・・・・・6
辰己で大会・ビバが主幹                     ・・・・・・・7
五周年記念パーティーとキャンプ                ・・・・・・・8
もう一つのキャンプ                 金澤 寛太郎・・・・・9
星がきれいなキャンプ                松井 義之・・・・・・11
温泉博士登場                             ・・・・・13
消費者主権とキャンパー                      ・・・・・15
遊びの自律心                     金澤 寛太郎・・・・16


これがわが家流キャンプ               

福島 正和・・・・・18

大沢 広義・・・・・19

石川 晴雄・・・・・20

鈴木 文男・・・・・22

鈴木 和夫・・・・・23

コンタクト・オブ・ネイチャー
[バード ウォッチング]                浅原 照 ・・・・・・30
[ホット スプリング]                  鈴木 和夫・・・・・32


ビバ・フォーラム
これからのファミリーキャンプ
~キャンピングクラブの脱皮のために~    金澤 寛太郎・・・36


ライフステージでとらえたキャンパーの楽しみ方    鈴木 和夫・・・・・39


編 集 後 記                        鈴木 和夫・・・40

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はじめに

 ビバ!キャンパークラブは、いまから10年前、1982年に、それまで会長が不在で休眠していた4つのクラブを統合して発足しました。
母体になった旧ビバ!キャンパークラブは、(社)日本オート・キャンプ協会創立当初から、ボンキャンパー、ジョイキャンパーなどのクラブと並んで加盟していた、歴史あるクラブです。
 現在会員家族21ファミリーと、クラブとしてはミニマムサイズです。その上、独特のフリーキャンプ制を中心に団体行動はほとんど行わないという、活動からみてもミニマムのクラブです。その小粒のクラブが、10年の地道な歩みを文集にまとめました。こうして、文字になったビバキャンパークラブはしかし、決してミニマムではないことが、分かっていただけるかもしれません。そうです、家族キャンパーの心意気だけはビッグでありたいと願っています。
私たちが10年間追い求めてきたものを'ごらんください。

1991.12.15
ビバキャンパークラブ会長
金 澤 寛 太 郎

スオミの友とキャンプして

(1983.5.30会報 世界大会参加報告)
8227 山本峰夫

 フィンランド(フィンランド語ではスオミ)は、人口480万人の北欧の森と湖の国です。私たちのテントエリアに、SUOMEN LATU(フィンラドクロスカントリースキー協会)のTEEMU SALONEN会長率いる50名のキャンパーを迎えた6日間の楽しいキャンプの思い出を、ここの紹介します。参加した彼らの年令は18歳から71歳、高齢者が多いのに気がっきました。団体としての統率がよくとられ、開会式にも全員がラップランドの民族衣装で着飾り、大会に華をそえていました。交流の上で言葉の問題を心配し、日常会話集を作り、配付しましたが、皆積極的に互いの国の言葉で朝の挨拶をしたりもできて、言葉の壁を乗り越えるのに役立ちました。
 フィンランドの5月中旬の平均気温は、摂氏14度であるのに比べ、今回の大野路キャンプ場は晴天に恵まれ、彼らは自国より一月早く太陽の光をからだに浴びることができ、皆、水着目光浴を楽しんでいたのが、印象的でした。キャンパーの夕べでは、てんぷら作りなどをフィンランドの婦人にも手伝ってもらいました。これは日本料理にチャレンジするチャンスとなり、楽しんでもらいました。残念だったのは、天ツユを入れる容れ物がなかったので、ポットに天ツユを入れておいたのですが、使う人がなかったことです。
 フィンランドのキャンパーの感想をいくつかまとめてみましょう。
(1)日本の飲料水は一番きれいでうまい。この水で煎れたコーヒーの美味さは忘れられない。
(2)芝生の手入れがゆきとどいており、寝ころんでとても気持ちがよかった。
(3)ブロックごとに外国人と日本人をペアにしたので、日本人の生活を身近に知ることができた。
(4)警備が良く、安心してキャンプすることが出来た。(例:夜落としたパスポートが、翌朝には届いた。また、夜落としたクレジットカードがその夜の中に届いた。)
(5)トイレの一部が不潔だった。
(6)キャンプ期間が短かった。遠い国からきたのでもっとゆっくりしたかった。
(世界大会に参加したビバのメンバーは、山本峰夫、井上信男、鈴木得四、林英明、
鈴木英男、原田博、澤幸男、黒岩正、渡辺浩、春日和男、金澤寛太郎の11家族。)

ビバも役目を果たす

(1983.5.30会報 FICC世界大会報告)

元会員 渡辺 浩

 FICC CAMPING RALLY なるものに初めて参加するというのに、元来気の弱い私にとって最悪なことには、ブロック長とプログラム委員をつとめるハメとなり、私のキャンプ歴の中で最も疲れ、かつ最高に感激したキャンプとなりました。
 キャンパーのみなさんからフィンランドの入たちに、どう対応したらよいのかと尋ねられた時に、 「われわれと同じキャンパーです。特別扱いしなくても結構、言葉はしゃべれなくても人間として触れ合えば、通じるものです」などと、強気で答えてみたものの、私自信は全く自信がありませんでした。外国語は全然話すことはできないし、ブロック長としてフィンランドの友人たちにどう対処したらよいのか分からず不安が交錯しながら友人たちを迎えることになりました。
 しかし幸いなことに、フィンランドのキャンパーのリーダー、ミスター・サローネンの趣味が私と同じ"釣りだったため、非常にスムースに気持ちを通じ合うことができました。
 3日夜のブロック長主催の「キャンパーの夕べ」では、どのキャンプサイトよりも雰囲気が良かったと評判だったくらいで、VIVAがホストを務めたDブロックのパーティーは最高でした。パーティーが終わった後、あまりの感激に会長と抱き合って、「やった大成功!」と繰り返しながら、男泣きしたことは、私の一生の思い出となりました。
 問題はいろいろありましたし、それなりの苦労も大変でしたが、お祭りキャンプでありながら、VIVAはいつも通りの静かなキャンプが出来、しかも息の合ったチームワークで他のキャンパーたちから、「素晴らしい仲間だ」とうらやましがられたりしたほどで、世話役としてはいうことなしです。スケジュールが合えば、、ビバの例会に参加したいと他のクラブの仲間に言われたときには、VIVAに入ってほんとうに良かったと思いました。VIVA!最高!!
 最後にブロック長としての私をアシストしてくれた金澤会長、山本、井上両副ブロック長並びに参加したVIVAメンバーの皆さんに、心からお礼申しあげます。

自然流簡単派

(1983.7.23会報 No.16「まいきゃんぷ・マイスタイル」から)

8211 鈴木 得四

 私たちのキャンプ、それは自然にひたることだと考え、楽しんでいます。出来るだけ自然に入るキャンプをと考えて、テントを張ることにしています。 私たちは車を利用して、目的地に行きキャンプをするわけで、もちろんオートキャンプですから、車とともに行動します。が、車は総じて脇役であってほしいと思っています。キャンプだからです。車の側にテントを張るのも良いのですが、車から離れてテントの場所を設けてのキャンプも、未来が開ける楽しさがあっておもしろいと思います。そこには大自然がいっぱいです。
 周りを眺め、空を仰ぎ、ただぼんやりしているだけでも楽しいのです。私は使用する道具も出来るだけ簡単な品をとこころがけています。今は私たち二人だけということもあって、煮炊きに炭火を利用しています。これも自然に浸る条件の一つです。あかあかと燃えている炭を見つめていると、自然と対話しているような心になるものです。コンロの火は気難しく、思うようにならないこともありますが、力強く頼もしいものにもなるのです。そして私のような寒がり屋にはとても優しくしてくれます。

辰己で大会・ビバが主幹

(1984.5.30会報 第14回大会報告)

 5月3日から6日まで、東京・江東区、辰己広場で開かれた、第14回日本ファミリーキャンプ大会は、絶好の五月晴れに恵まれた中を、200家族が大会史上初の都心キャンプに挑戦、大成功をおさめました。
 湾岸道路に囲まれた会場で自動車騒音が心配されていたのですが、あまり気にならず、むしろ埋め立て地とは思えないほど緑の濃い広々とした野原と、うるさいほどの雲雀の声に驚かされました。いつもの大会とは大違いのゆったりスペースで、みんなニコニコ。施設責任者として、テントサイトの割りつけに苦労した渡辺浩ビバ理事も、文句なしのパーフェクトゲーム(雨対策の出番がなく、残念の声あり)。プログラム担当の山本峰夫理事の、「ドゥー・イット・ユアセルフ・デー」のアイデアも好評で、この次からもっと大々的にイベント化しては、という話もありました。
 金澤「大会村長」は、開会式の「施政方針演説」で、東京都内に是非公営オートキャンプ場を作って!と訴えましたが、キャンパーや来賓(部レク課長、江東区長)の反応が少しはあったようです。 まずは、ホスト訳のビバキャンパークラブは、無事大任を果たしたことを、ご報告します。
 ビバの参加ファミリーは、高部和年、渡辺浩、山本峰夫、神野哲之、原田博、金澤寛太郎の6家族でした。

5周年記念パーティーとキャンプ 
17ファミリー・54人の参加なごやかに集い 大いに盛り上がる(1986.5.15会報No.55から)

 春の光に輝いた朝だった土曜日の25日、メンバーがそれぞれサマーランドの会場に向かいはじめた頃には曇ってしまいました。それでも雨の心配はない高曇りの夕べに 17家族54人の会員が集まって、ビバの五周年を祝いました。新緑に萌える木立に囲まれた芝生のキャンプサイトに、テーブルを並べ、料理が整って、記念パーティーの開始。まず記念撮影。山本さん、鈴木(英)さんの活躍で大人数の撮影完了。メインディッシュを本職の腕によりをかけて作ってくださった、幹事の鈴木英男さんのあいさつ、乾杯!ご馳走がおさまるところに収まったところで、会長あいさつ。 「5年前の昭和57年3月15日に、7人のメンバーで、ビバ!キャンパー・クラブがスタート。日本ファミリーキャンプ協会関東在住メンバーの一部に、会長のなりてがなくて休眠状態だった、ビバ!キャンパー・クラブ、トム・キャンパー・クラブ、ケロヨン・キャンパー・クラブの合計4つのクラブの残留会員を中心に新生「ビバキャンパークラブ」として、再出発した。これからも、自立したキャンパーのクラブとして、良い伝統を守り、仲間やキャンプ関係者の評価に耐える活動を続けていきたい。」などの内容だった。
 会員1家族1皿持ち寄りパーティーという原則だったのですが、幹事の鈴木英男さんが調理の本職で、ご夫婦で前日から準備したお刺身やフライ、えびのチリソース、ますのスモークなど、味に煩い方々もおもわずうなる、スーパーグルメパーティーになってしまいました。テーブルのご馳走を見て、はずかしくてウチのは出しにくい」と思った奥様たちごめんなさい。鈴木英男さんの心意気に免じておゆるしください。
 夜が更けてから、日帰り組の浅原ファミリーと鈴木和夫ファミリーが名残を惜しみ.ながらひきあげていきました。
(参加ファミリー:原田博、高部和年、澤幸男、西野文雄、松井義之、荒谷豊一、鮫島清、浅原煕、大沢広義、石川晴雄、堀井省三、渡辺浩、井上信男、鈴木和夫、山本峰夫、鈴木英男、金澤)

もう一つのキャンプ

(1986.6.1.会報から)8210 金澤 寛太郎

 「ファミリーキャンプに参加した私にとって全てが新鮮でした。戸外で食べた食事の美味しさと会話の楽しさ。大地の土で寝ることの素晴らしさ、自然の鳥の美しさなど、今回のキャンプの思い出は忘れることはできません・・・」 日本経済新聞の新人S君からの礼状の一節を引用させてもらいました。このま沢の5月例会に取材に見えたS君にとって、見るものがみんな驚きだったようです。感心させられたのは、彼の観察の鋭さでした。S君の目には、テーブルといすで寛ぐ家族連れの姿がオドロキだったらしく、一種のカルチャーショックを受けたようでした。キャンプが夏休みだけのものでないことや、大人の遊びであること、都会人の新しいレジャーとしていろいろな可能性をもっていることなど、ファミリーキャンプの本質を正確に理解してくれたようでした。彼の感受性にさらされながら、私も久し振りに初心に帰って、キャンパーの幸せを思ったことでした。そして、ビバキャンパークラブの皆さんのキャンプ振りをS君に解説しながら、ビバのキャンプのレベルの高さに改めて自信を深めたのでした。
 「ビバのキャンプ」なんかあるのか、と問いなおされると、恥ずかしくなりますが、ちょうどよい機会ですので、例会などで日頃話し合ってきたことや、クラブの不文律のようなことをまとめておきましょう。 マスコミの人はキャンプというと、大勢で鉄板を囲んで焼き肉パーティー、といった写真を演出したがります。ワイワイ賑やかに楽しむのも、たまにはよいものです。しかし、ビバは原則としてこの「ワイワイキャンプ」は避けてきました。
ビバのキャンプの原風景は、S君の観察通り、「テーブルを囲んだ家族のだんらん」です。「お父さんの味」や「水入らずの楽しい会話」「鳥の歌や川の音」に寛ぐ「静かなキャンプ」です。
家族それぞれに、思い思いのライフスタイルで自然の中に質実な生活の時間を過ごし、不便を楽しみ、仲間との友情を温める、「もう一つのキャンプ」です。 キャンプ場では仕事の話はしないという、ビバ独特のルールも、家族本位のゆとりの時間をぶちこわさないための自衛策です。おかげでちょっと他では経験できない仲間づきあいが生まれます。できるだけ自然に、という思いからキャンプのスタイルが自然流を目指しています。原則として発電機やラジカセBGMなどの騒音を伴うキャンプは、お互いに控えるとか、自動車のヘッドライトをつけっぱなしで、あたりの雰囲気を台無しにする類の無神経は論外としても、簿暗がりを楽しむ人もいることを心得、明かりに気配りするなどの野外生活の素朴さを大切にしてきました。
 最近では、車とテントの並べ方もすっかり身について、スマートなレイアウトになっています。雨よけのシートも、一頃のような工事用や荷作り用の青いビニールシートは影をひそめました。工事用のビニールシートは、色や材質が品がなくサイトの雰囲気をこわすだけでなく、強風が吹くとバサバサ騒音をたて近所迷惑になる恐れがあります。タープ用のシートがキャンプ用品として出回ってきたのは、それにつけても助かります。
 このま沢キャンプ場は水源地帯なので、ゴミは持ち帰るよう呼び掛ける看板があります。ビバのメンバーは、日頃から地元に迷惑をかけないことをルールとしていますから、別に慌てることもないのですが、他のクラブはどうしているのでしょう。炊事場にゴミ捨場がありますから、やはり捨ててくるのでしょうか。ビバはこの場合も持ち帰りが原則です。ゴミの始末も遊びの中、スマートに処理したいものです。

[ビバのルール]
O静かなキャンプ
O仕事の話はしない
Oゴミ持ち帰り
O最後のゴミ拾い(来た時よりもきれいに)

星がきれいなキャンプ

~1986.了 大原・例会報告~8410 松井 義之 (令夫人代筆)

 「天候が不順で心配しましたが、例会の時にちょうど梅雨が明け、海水浴には絶好の天気でした。金曜日の朝5時まえに家を出て、大原に着いた時にはキャンプ場にはまだ4家族しかおらず、水場に近く木陰のある絶好の場所にテントを設営できました。土曜日の朝から次々にキャンパーが来て混み始めましたが、ビバの会員は、なんとか近くにまとまることができました。土曜日の夜にこどものために花火大会をし(もちろん線香花火です)、大人は夜遅くまで談笑しました。昨年のような魚料理はとても出来ず、ダメ幹事でした。参加者は次のファミリーです(到着順敬称略))。

 松井:4人と1匹、3泊でゆつくりしました。
 小松:奥様がギックリ腰で欠席、食事メニュー持参で大奮闘。
 山本:奥様、お嬢様及びそのご学友の中、黒一点。 布川:奥様は次の日に合流、釣果は如何?
 鈴木(博):二、三日前まで大原でキャンプをして帰ったばかりなのに、ビバの例会のためにまた大原に来てくださいました。
 須藤:ミッキーマウスのキャンピングカー。家族トランプで楽しそうでした。
 鈴木(文):海での家族花火大会を楽しんでいました。
 玉井:ビール党のご主人、ビバの例会にはあまり参加されませんが、ご夫婦でキャンプ生活を楽しまれているそうです。
 田中:長毛のチワワと可愛いお嬢様が印象的。
 田近:ヤンチャ盛りのお子様に奥様は大変でした。亀の浮輪(?)が人目をひきました。
以上、今回は予定通りのlO家族でした。

 夕方になると、芝生の中から10センチ位の月見草が黄色の小さな花を開き、点々と咲いている光景には、心を惹かれました。星もきれいでした。北斗七星や火星は分かりますが、子供にさそり座や白鳥座と聞かれても全く分かりません。星座に詳しい方がおられたら、例会の時に天文教室を開いて欲しいものです。晴天が続き、真っ黒に日焼けしたキャンプでした。

温泉博士登場

~1986.9.松本三城・例会余話~ (1986.10.3会報から)

 [前口上]鈴木博光幹事ご夫妻の大活躍で、おおいに盛り上がったティーパーティーで、新人登場。新しく仲間入りのために見学に参加した鈴木和夫さんは、温泉のことならなんでも知ってる温泉マニア。以下に、笑い声がたえなかったティーパーティーの 「温泉博士」の"講演"の一端を再現してみよう。

 「関越自動車道が私の一番のテリトリーなんですけれども。もともと山形の生まれなんで、東北方面も随分いきましてね、国立公園では最低2か所くらいずつ行っています。
 関越自動車道は長年いっていまして、この印がついた所が(と、おもむろに細かい書き込みがいっぱいある地図をかざす)行ったところなんです(笑い)。この中にいろいろ情報を書いているんですけどね(みんなうらやましそうにのぞきこむ)、温泉も情報戦略なんです、やっぱり。ただいきあたりばったりではだめで(一同うなずく)、温泉というのは、結局湯船が勝負ですから(お話はいきなり核心へ)、湯船のいいところというのは、ちゃんと紹介されているんです。なんとか温泉がいいんじゃなくて、なんとか温泉の「ナニナニの湯」、なになにのお風呂なんです。だから絶対にその「ナニナニの湯」を探さないと駄目なんです。それで、私の主義は、そのお風呂には絶対泊まらないんです(笑い。「お金がかかってしょうがないのではと思った」と声あり)。いや、宿屋には泊まらないんです。それで一日に3か所4か所入るんです(「入れてもらえますか」とどなたかの質問)。ええ、入れてもらえます。入れてもらうコツをちょっとお話ししますとね、午前中のチェック・アウトから、午後のチェック・インまでの問の時間は、まず絶対に大丈夫です。入れてくれないような温泉は逆にまずダメな温泉と思った方がいいです。というのは、本当にいい温泉なら、うちの風呂に是非はいって下さいというものなんです。とにかくうちのふろはいい風呂だから入っていってくれというのが、本当にいい温泉なんです(みんな納得)。
 そこで、だんだん入っているうちに分かってきたことなんですが、日本人にとって温泉は宝物だなーって気がします。」
(温泉博士のお話しはまだまだ終わらないのですが、今回はこの辺で。)

消費者主権とキャンパー

(1986.1 2.1 5 会報から)

 今年のキャンプの動向をふりかえって、まず気がつくことは、キャンパーのための商品惰報が質、量ともに豊かになってきたことだ。特に、用品の比較情報が充実してきた。中でも、「マイカーキャンピング」の「6機種使いこなしストーブ徹底研究」は、このところ新製品がでてキャンパーの関心が高いツーバーナータイプを中心に、ファミリーキャンプの視点で、正確で志の高い記事にまとめられていて、秀逸だった。デメリット情報をきちんと書き込み、かつ、メーカーへの建設的な注文が的を射ていること、女性の目で使い勝手を探り、ユーザーへの親切な助言を忘れていないこと、などを特筆しておきたい。機種ごとの、「ちょっちひとこと」という囲みも気がきいている。メーカーから編集者にノークレームだったときく。立派な仕事ぶりだ。ようやくキャンプの世界にも、遅ればせばの消費者主権の陽が当たりはじめたと言ってよいだろう。

 それに引換え、一部メーカーの時代遅れの商品計画はいっこうに改まらない。ジョイントのいいかげんなテントが後を絶たないし、インナーーテントとアウターテントの間隔が足りない欠陥商品がグッドデザイン商品としてまかりとおっている(会報で既報)。これまでオート・キャンプ協会がこうした消費者主権の擁護に消極的だったこと、機関紙「キャンパーニュース」が、どちらかというと宣伝媒体に終始して、批判性に乏しいことなどを考えると、キャンパーはまだまだ「裸の王様」に甘んじているということができよう。その意味で今年初めて協会がメーカーを集めてガスボンベの廃棄について安全性の検討をしたことは、注目に値しよう。今後に期待したい。

遊びの自律心

(1988.1.1 会報から)8210 金澤 寛大郎

 日本オート・キャンプ協会の長期活動計画について岡本専務に提案した、「これから10年間に全国10か所に100台収容以上の大型オートキャンプ場を建設してもらう推進運動」いわゆる「シーエス・テン(CS-10)計画」の提案からもう4年たちました。その当時は誰の目にも誇大な構想に見えまし.たが、それでも、「あそび基盤」の整備が欧米に比べ、おはなしにならないくらい立ち遅れている現状を、多くの人に理解してもらうこと、関係方面に公共のオートキャンプ場の建設をお願いすることなど、あらゆる機会をとらえて、「シーエス・テン」をオマジナイのように唱えてきました。
 2年前の秋には、通産省産業政策局長の諮問機関の長期滞在施設に関する検討委員会にメンバーとして加えていただき、今年施行されたいわゆるリゾート法の枠の中にオートキャンプ場や家族小旅行の考え方を入れていただくべく、意見を述べてきました。この間運輸省に協力して観光財団法人と日本オート・キャンプ協会が作成した「オートキャンプ推進のための諸方策~21世紀、観光リクリエーション時代に向けて~」(61.6報告)の委員会にも参加させていただき、かなり過激にオートキャンプの課題を議論しました。
 これらの仕事は、キャンピングクラブの遊びの世界のこととはいえ、自分の仕事に劣らず負担の大きな「仕事」でしたが、ビバキャンパークラブの経験があってはじめて可能な仕事だったことは確かです。オートキャンプは一部のお金持ちの遊びから、いま大きく大衆のレジャーに変わろうとしています。ビバの会長として、そのような時に、基盤つくりに賭けることができたことは幸せでした。
 この一年、事実上クラブのお世話ができない(協会のお手伝いもできない)つらい時間が続きました。あそびの時間がとれない事情が続いたためです。最低限の義務として会報だけは続けましたが、きわめて不満足な結果に終わりました。
 しかし、世の中の方は大きく動きました。「遊び時代」ともいうべき、生活の質や余裕への志向が強まり、中でもアウトドア志向が一段と加速されました。「シーエス・テン」以来あれほど待ち焦がれた大型のオートキャンプ場建設も計画がめじろ押しです。
 「あそび基盤」は整い始めました。今度はキャンパーが、その能力を問われる番でしょう。ビバキャンパークラブで、私たちメンバーの一人一人が探してきたもの、育んできたものが、この問いに答えるものかどうか。今年は大いにこの点を語り合ってまいりましょう。私なりの表現でこれを表せば、「自立した自由人の、自立した野外の家族生活」。
もっとやさしく言えば、「クラブとしては、何もしないキャンプ」「自分で楽しみを創造するキャンプ」「他の人とはほどほどに付き合う、家族中心のキャンプ」などということになりましょうか。他人に面倒を見てもらわないと時間がつぶせない人には、「遊び時代」に対応するのは大変でしょう。そこへいくと、ビバが培った「あそびの自律心」が、大いにものをいうことになるでしょう。

これが我が家流キャンプ

思い出、そして夢
1991年9月 8208 福島 正和 理子

 初めてオートキャンプに行ったのは、今から14年前でした。子供達は小学生。車はキャラバン・コーチ。テント、椅子、テーブル、ランタン、食器、こんろ、水タンク、寝袋等、必要なものをある程度そろえての第一回目のキャンプでした。7月の末から8月の始めにかけて静波キャンプ場に行きました。 次の年は、岩手県の碁石海岸に行きました。海岸の丸い石のぶつかりあう音は今も耳に残っています。

 このように毎年、夏休みにはキャンプに行っていました。また、ビバのキャンプにも何度か参加させていただきましたが、子供達が高校・大学と進むにつれ、いつの間にかキャンプ用品はしまわれたままになりました。

 今、オートキャンプはすごい人気です。キャンプ場も沢山出来てよく整備されているようです。小さい子供違は友達と走り回り、大人は自然の中にゆったり座って美味しい空気を吸い、小鳥の声に耳を傾け、の~~んびり1日を過ごす・・・こんな休日も良いものです.・・という考えが人気の1要因になっているのかもしれませんが。

 先に書きましたように私どもは、ここのところオートキャンプはお休みしておりますが、もう少し時間に余裕が出来ましたら、今度はラルゴに乗って、キャンプをしたり、旅館に泊まったり、”日の出を見たいから今夜は車中泊だね”と主人に言われ、”たしかにここから見るのは素敵ね”というようにのんびりとしたオートキャンプを夫婦でしたいと思っております。

静かな、家族のスタイルを大切に

1991年9月8305 大沢 広義

 近年、車の所持率とともにRV車、キャンピング車等の発達には異常なものがあるように思います。特にRV車に対してはオートキャンパーが殺到しています。全キャンパーではないにしても年間、四季を問わずキャンプをしている現状には、協会及びアウトドア用品販売店にとっても喜ばしい限りでしょう。
 しかし、私自身、身勝手なことを言わせてもらえば、どのキャンプ場へ行っても賑やかであり他人の目を気にしながらのものになってきました。そもそもクラブに入会したのは9年前で、当時としては9月や10月にキャンプをする等という人は、よほどの人でない限りいませんでしたので、一家族で自分のスタイルに合うようにのんびりと過ごすことができたものでした。その点でVIVAの姿勢には同感するものがあったのです。
このようなことから、最近の我が家のキャンプは、前述のように冬でも大勢のキャンパーが居るようなキャンプ場へは、だんだんと足が遠のいてしまいました。それならば、自分のスタイルでキャンプのできる所をと探しているのですが、なかなか想うようにはいかず今日に至っているという現状です。「一家族でも、安全に.しかも静かなキャンプのできる場所」というのは・・・ 。
でも、正式なキャンプ場ではないのですが、少数しか知らない場所をちゃんと確保してあるんですよ。水20リットル位を持参すれば、誰にも邪魔されず、山々に囲まれ、朝小鳥の声で目覚め、そして温泉にも入ってこれる、こんなすばらしい所があるのです。ただ、雪が降ると行けない所なので、ちょっと残念なのですが… 。

暮らしに根ざす アウトドアライフを求めて

1991年12月8506 石川 晴雄 恵子

 私たちのアウトドアライフの人口というのは、結婚して子供が生まれ、子育ての時期は、地域の子供たちと毎日のように公園など外へ出かけ、日曜日は主人の野球に付いて行き、土手すべり、動物園、プール、児童館など、その時々で最大限、家の外を拠点とする暮らしを求めたことから始まります。 その延長線上にあったのが、オートキャンプでした。子供たちの年令、車の購入、VIVAキャンパークラブの入会等すべてタイミングがよく、のめり込むのは簡単でした。
 仕事の都合上、日曜、祭日しか休めなかったために、ほとんど出発は、仕事終了後、8時半過ぎでした。その出発前の慌ただしさは、火花が散るようでした。車に乗って走り出していくうちに、不思議と心はやさしくなり二人のドライブは、タイムマシンに乗っているように、渋滞もなく快適に、現着ということになりました。その日のフィナーレは、夜空を仰ぎながら、お酒を飲む。これが最高の醍醐昧でした。
 どんなに夜が遅くても、朝は日の出と一緒です。モーニングコーヒーを飲みながら、辺りを散歩し、朝と夜の気配の違いに感動し、これを体験しなければ、キャンプに来た甲斐はないと思うほどです。そして、どんなに疲れていても「今晩キャンプに出掛けるぞ!」という気持ちになれたのは、現実から距離を置くことによって、自分たちの日常を活性化できる部分が、キャンプにはあったからだと思います。
 テントは、オーナーロッジからドームテントへ、さらに車中泊のために車のリヤにテント(オリジナル)を付けるなど簡略化していき、食事も簡単に出来るよう工夫することによって、キャンプ地での時間を最大限に楽しもうと努力しました。キャンプを中心に自然、温泉、無線・・・といろいろな人や物との出合いがありました。今では全て、我が家の財産、宝物、そして文化です。
 現在は、子供たちも年令とともに陸上、少年野球チームに入るなど、各々スポーツを楽しむようになり、家族のライフスタイルが、変わりつつあります。変わらないのは、キャンプを楽しんできた7年間の歴史があるという自負があることです。そのために、どこへ行っても、家族皆が一つのテーブルと椅子を中心にアウトドアライフの楽しみを、分かち合えるようになったことです。
キャンプについて文章でまとめることは、書くことから遠ざかった身として、いつも心に引っかかりながらも、結婚15年の歴史を見つめ直す良い機会でした。
これを一つのけじめとして、VIVAの発展と共にわが家も成長していきたいものです。

さあ、いこう!

1991年9月8603 鈴木 文男

 自慢の我が家流のキャンプということですが、自慢するほどのことは特にありません。ただ狭い我が家に閉じこもっているのが大嫌いなので、とにも角にも出来る限り外に出るのが我が家流です。

 キャンプを姶めて7年目ともなると、考えも車もだいぶ変わりました。キャンプを始めた頃1年生だった長男も、今はもう中学1年生です。車も小さな「ファミリア」から「プレーリー」「サファリ」そして今では「ランクル」です。キャンプは脱都会ではなく、家の延長、生活の一部という考え方でしたが、脱都会かもしれません。

 キャンプはいつもファミリー全員でと思っていましたが、ほかの家族の例にもれなく、我が家も例外ではありませんでした。子供も成長とともに自分の意志を持ち、そうそう自分の考えや行動を押しつけられなくなりました。ただ、それでも出来る眼りみんなで外に出ようと思っています。

 「さあ、いこう!」が、我が家流です。

気ままキャンプ!自然・人・出合い

1991年9月 8701 鈴木 和夫

 基本的に「自由人でありたい」と強く思って生活しているというのが我が家流とでもいうのだろうと考えています。

 実は、ファミリーキャンプを体験する以前のキャンプについては、あまり良い思い出はありませんでした。学生の頃、体育の1単位として集団としてのキャンプを体験したことです。「せっかくの自然の中に来てまで集団で活動をすることを強制されるなんて、なんということなのだろう」というのが正直な気持ちでした。
 こう思うに至った私の生い立ちについて述べる必要が有りそうなので少々触れさせていただきたいと思います。

 自由人として自然の蝶、石など、自然のあるがままの美しさに心打たれた小学校時代、星の写真に凝り、また化石捜しに没頭した中高時代、そして海辺の近くに住んだことから出会った貝集めなど、より自由にそのままの自然を親しんだ私にとって、人生の限りある時間の過ごし方について決めたことがあります。それは、「何事にも捕らわれず、自然や音楽に関わった時間を過ごすことを基本とした生き方をしたい」というのが、学生時に考えたことであり、そのときに描いた生活のデッサンの鳥瞰図は、社会人になって家族が出来て以来今も、「こうありたいなあ」といった我が家の憲法として生きているのです。

 一方、キャンプのイメージを自分なりにどう抱いてきたかについて次に述べてみます。私は山形生まれということもあり、河原の「芋煮会」の場を通し自然の石、自然の風を利用した窯づくり、回りの石をイスとテーブルに見立て、それを囲んでの家族や親しいもの同志の食事、語らいの場を小さい頃から年中行事として体験してきました。思えばこの方が、現在考えているファミリーキャンプに近い楽しみ方だったなと思っています。

 また、どちらかというと海より山の方が好きな性格ですが、これは生まれ故郷の山形で、その中心を流れる馬見ケ崎川による扇状地を形成する盆地といった風土の中で暮らすことによって培われたものと考えています。雪にすっぽりと埋まった山形の町並みを小高い山の上から一人眺め、静けさと同時にあたたかいものを感じた光景は忘れられません。現在埼玉の地を住み家とするようになったのも、秩父・群馬といった山合いの風土に培われた文化にすぐ近いところに身を置きたいといったことが、心の奥にあったようです。

 今では我が家のアイデンティティとなった「温泉人(オフロウド)」ですが、全国200ケ所の温泉を楽しむに至っています。小さい頃に祖母に連れられて入った蔵王温泉、上山温泉、小野川温泉、作並温泉などは、どれも「自然と最も近くに身を置き、人と裸で真近に話す」といったことを体験を通して体得して行ったものの様に思われます。温泉は、私にとって、「心身の隠れ家」として大切なものとなっているのです。

 このような折に、VlVAキャンパークラブとの出会い(三城キャンプ場での集まりに参加したことからはじまるのですが)によって、これまでの生い立ち体験の一つ一つが互いに関係づけられ意昧づけられ、一つの宝物として結晶化していくこととなったわけです。この場で出会った金沢会長のテーブルの上に一輪挿しに野の花を活け、コーヒーを片手に本を読んでいる姿は、学生時代に悪い思い出として記憶にあったキャンプのイメージを大きく塗り替えてしまうものでした。その光景から得たものは、まず第1に「野外の生活の場としての意昧が中心に貫かれているということ」、第2には「その生活の場はお互いの違った文化を持った家族であることを確認し、我が家との対比を通して、我が家の文化づくりをすることの大切さを知ったこと」、第3は「野外の生活の場は、まさに自然の風、草木、星、石、光、等をひとまめにして楽しむ場として再認識したこと」だったのです。
 このような生い立ち、そしてキャンプに対する新しいイメージが溶け合って今の我が家流のキャンプスタイルとなったのであろうと、考えています。 先に「温泉は、自然に対して、また人に対して真近に接する絶好の場」と述べました。この温泉を楽しむことを軸にして我が家のキャンプは発展してきています。つまり、行動を起こすための地図上のポイントとして各温泉を位置づけ、それを下敷きに置き、その上から天候、体調等の状況に合わせつつ具体的行動を重ね合わせてゆくやり方をとっているのです。こういったことを実現するためには、行動の途中全体を、どこでも、いつでもリビングルームにしてしまいたいといった考え方を基に、道具立てを揃え、実際の行動をしながらここまでやってきたというのが、振り返ってみて思いつくことです。
 ですから車は、行きたい時に、すぐにいつでも、行きたい所に行けるように、常時、お風呂道具、衣食住の道具一切を積む形態をとっています。たまたまオートキャンプのスタートはスバルのドミンゴといった小さな機動性のあるワンボックスカーであったため、椅子もテーブルもテントも、極力コンパクトなものにしていたことが、今のスタイルに引き継がれてきています。その後、三菱のデリカに乗り換えましたが、親と子供と祖父母の3世代が行動できる8人乗り空間を生かしつつ、いつも必要な道具が入っているといった欲ばりな状況がなんとか実現できているわけです。今、38才(親も健在で供に行動でき、子供も小学校であり行動を供にできるとき)のライフステージ上での時間を、できるだけ有効に楽しめる様にと試行錯誤しながらやってきた結果でした。いつも車中はリビングルームでありたい、道具で占領されたくない、人が主体でありたいと精一杯工夫し続けている結果なのです。
 こんな形で自由人としてのキャンプスタイルをつくってきました。土曜日曜には、極力家の中から出て、自然の中、温泉の近くでゆったりと生活したいものだと、いつも考えているわけです。このような我が家流のスタイルを、より有効なものとするために必要な情報機器も活用しつつあります。目的地までの途中の移動時間も、コミュニケーションを楽しむ時間に変えようと、昨年5月には「7KlJYW」と「7KlJYX」のつづき番号のコールサインで小生と妻でアマチュア無線局を開局しました。その土地の人と、近場の温泉の話しをするためにも無線機は威力を発揮しています。

 この様な我が家流キャンプは、今年も5月の連休を利用し東北地方を北上し、青森県の龍飛崎を折り返し点として、途中19箇所の温泉を楽しんできました。その記録の概要を別紙に書きとめてみましたので、その行動の中に、我が家流の「温泉人(オフロウド)キャンプ」のスタイルと楽しみ方を感じて頂ければと思っています。

 これから、その時点時点でのライフステージ上の人生に、いかにして最大の楽しみを見出だし過ごして行くかを、これからも積極的にデザインし、行動してゆきたいと思っています。今後とも、VIVAキャンパークラブの方々からは、ライフステージ上の人生の先輩としておおいに学ばさせて頂こうとおもっています。よろしくお付き合い下さい。

温泉人紀行(平成3年5月)
4/27
東北道を白河インターで降り、太平洋のいわきまで夜の山中を ひた走り、ゆるやかな丘陵地のカーブの中にまだ開発されてない日本を感じうれしくなる。夜はハワイアンセンターの駐車場に一夜を過ごす。
28
①いわき湯元温泉 (玉の湯温泉保養所 70円/大人・刊1) 朝6時に地元の人が入るイオウの香の湯を、おじいさんと供に 有難く頂いた。
29
②川尻温泉 (ほっとゆだ 120円/大人・60円/子洪) 太平洋沿岸の国道をひたすら北上し、三陸の人口の碁石海岸か ら民話のふるさと遠野へ、さらに秋田・岩手の県境である湯田 町の「ほっとゆだ」の駅の風呂をいただき、そのまま駅駐車場 でおやすみ。
30
③巣郷温泉 (憩いの家 福寿荘 120円/大人・60円/子供)
④湯川温泉 (旅館 大扇 300円/大人・150円/子供) 山合いの力タクリの群生にしばし感激。たずねたずねてようや く入れた旅館の露天風呂。定年後に自転車で放浪の旅に出かけ、 途中この宿の従業員として住みこみ、時折山の中にひとりでキャ ンプするという自由人に会う
⑤瀬美温泉 (300円/大人)
⑥大沢温泉 (自炊部 菊水館 350円ノ大人・200円/子洪) 「地元で良い温泉を知っている方ど一ぞ」の呼び掛けに無線で応答してくれ、道案内までしていただいて訪ねた湯。自炊部と 旅館部の両立のすばらしさ、男性のシンボルが旅館人口に金精 様として祭られている姿に、子供と供に、ゲラゲラ。
5/1
⑦鉛塩泉 (藤三旅館 300円/大人・150円/子供)
⑧花巻温泉 (蓬菜湯 200円/大人・120円/子供) どの温泉案内にも出ていない共同風呂、地元のおばあさんがお風呂道具をかかえて通りすぎる。すかさず「この近所にお風呂に入れるところあるんですか」これにて一件落着、さすがー。

⑧つなぎ温泉 (さぜん 700円/大人)
ともかく走って、十和田湖の人口の大湯温泉に11時にたどり
着く。すでに共同浴場は終了。明日朝5時半の開場を寝て待と
う。
2
⑩大湯温泉 (上の湯共同浴場 100円/大人・子供)
⑪温川温泉 (国民宿舎ぬる川 250円/大人)
⑫青荷温泉 (300円/大人・150円/子供)
「ヨグキタネシ」の着板で迎えられた噂のランプの湯。貸し切
りの内湯にて温泉人鈴木家一同の蕩の中のビデオに納まる。内
湯、露天風呂の3ヶ所すべてに入り、大満足。
岩木山を目指し途中弘前城に立ち寄る。しだれ桜満開の中で、
津軽三味線の軽快な調子と陽気でどっしりとして通る声の歌自
慢。
⑬国吉温泉 (耕富館 250円/大人・100円/子供)
百人風呂をいただいて、一気に龍飛崎を目指してひた走る。途
中、金木町の無線家と波長がピッタリ一致。翌朝6時にアイボー
ル(実際に会って話をすること)の約束のために奴温泉駐車場
にておやすみなさい。なんと、地元の寺の住職さん。
3
(34)奴温泉 (200円/大人・100円/子供)
⑮龍飛崎温泉 (ホテル龍飛 300円/大人・100円/子供)
金木町の坊さん、行動力バッグンで「龍飛崎を案内しましょう」
というや無線機持参でドライブ。小泊の展望台にアンテナをく
くり付け、北海道に向けて「ハローCQ. CQ」。ドームテントを
設置し移動基地の出来上がり。夜に、岩手の県境にて無線
で一日のお礼を送る。桜の満開の静かな町営の公園にておやす
み。
4
⑯湯瀬温泉 (老人いこいの家 100円/大人、50円/子供)
⑰蔵王温泉
(河原湯 200円/大人・100円/子供)
この旅の中で唯一畳に寝た。それも山形の実家、有難い。父母
と蔵王温泉にせめてもの気持ち。
5
⑱大塩温泉 (観山荘 600円/大人、500円/子供)
本物のキャンプ揚にたどり着く。会津の檜原湖湖畔のキャンプ
場。若い頃から自分で切り開いた手作りのあたたかいこころも
ちが伝わってくる。VIVAの石川ファミリーと合流し、旅の
終わりを締めくくりにふさわしい一夜でした。
6
⑲土湯温泉 (中の湯 50円/大人・20円/子供)
いやあ、よく行った、よくしゃべった、よく入った、これで家
族4人の総経費10万円弱、「ウッソー、信じられな一い」っ
て?

コンタクト・オプ・ネイチャーバードウォッチングとともに

1991年9月 8510 浅原 照

 キャンピングではいろいろな楽しみ方があると思いますが、鳥達と触れ合うバードウォッチングとの組み合わせも実に良いものではないでしょうか。キャンプに行っても、あまりバードウォッチングを楽しんでいる人を見かけません。キャンプの中でやる楽しい事がたくさんあるからでしょうか。バードウォッチングをやらなくても十分楽しいからということですか。まあまあそう言わずに、私のバードウォッチングの話を間いてください。

 私がバードウォッチングに夢中になり始めて、早いもので20年近くになります。私に鳥見行の楽しさを植えつけてくれたのは、渓流釣りでの黒い小さな鳥「ミソサザイ」でした。川幅2メートル位の渓流を釣り進んでいる時、前方の岩陰で黒くて小さな鳥が、実にすばらしい声でさえずるのを見つけたのです。小さな体を目いっぱいふるわせて休全体で歌っていました。そのときは鳥の名前など知る由もありませんでした。釣竿を出すのも忘れて、じっとその1点を眺め、その歌声に堪能していたのです。水の流れる音も打ち消すかのような自然の中のすばらしい光景でした。数週間後、本屋に行く事があり、棚にある鳥の図鑑に目が止まりました。この間の鳥はなんだろうという疑問を解決するため、図鑑を手に取り、パラパラとページを進めて行くうちに分かったのです。目に焼きつけておいた、小さな鳥がミソサザイであることが・・・。図鑑を眺めながら思わず嬉しくなってしまいました。

 このような事があって、私が鳥好きになったのです。そしてファミリーキャンプに入って行くわけです。自然を求めてのキャンピングには、さまざまな鳥との出会いと思い出があります。また、すばらしい自然がある所には、良いキャンプ場も素敵な鳥も多く、富士山の周辺や、軽井沢等は、バードウォッチングの好適地でありバードウォッチャーにとってはあこがれの揚所となっています。

 1989年4月29日、VIVAキャンパークラブでの八王子サマーランドの例会での探鳥会でも、1時間あまりのバードウォッチングでしたが、アオゲラ、イカルチドリ、シジュウカラ等を含めて十数種類の鳥達を見ることができ、一緒に回ったVIVAのキャンプ仲間も、みな嬉々とした楽しい思い出が残っています。このようにキャンピングでのバードウォッチングはいかがなものでしょうか。
 では、鳥のことを覚えるには、どうしたら良いかという事ですが、特にむずかしい事ではないのです。まず自然を好きになることですが、皆さんは申し分ありません。次に鳥を好きになることです。家の周りを散歩する時には、双眼鏡でも首からさげて鳥達を見るように心掛けたいものです。そうしているうちに段々わかる様になり、おもしろさも増してくるのではないでしょうか。
 自然の中でのキャンプだけに、キャンプサイトのテーブルに座っているだけで周りで元気に遊んでいる鳥達を見ることができ、そして鳴き声で鳥の種類がわかる様になった時、キャンプでの朝の目覚めがすばらしいものになるでしょう。バードウォッチングによって、さらに素晴らしいキャンピングとなることを望んでいます。

 最後に、フロンガス、森林伐採等の地球の自然破壊の進んでいる中、身につまされる言葉を見つけました。「この大地は先祖から受け取るものではなく、子孫から借りているものだ」。19世紀のインディアンの指導者、アセネカの言葉です。我々も、子孫のためにも真剣に考えなくてはいけない時期ではないでしょうか。

温泉人(オフロウド)流、温泉の楽しみ方

1991年9月 8701 鈴木 和夫

 数年前、温泉について「温泉とイノベーション」といった事でまとめたことがあったのですが、このことも含めて温泉についての思いと楽しみ方について述べさせていただきVIVAのメンバーとともにキャンプと温泉の関わり合いをより強める意味の参考になればと思い筆を取ることにします。現在の入った温泉の箇所数、200ヶ所の段階で考えることを述べさせて頂きます。この200ヶ所は、実は大変な記録なのです。なぜなら、泊まらないで、しかも家族で、温泉そのものを楽しんだ記録なのですから。回数では数百回を下らないでしょう。なにせ、郁美(長女で現在小学2年生)が生まれて以来、ほとんど毎週のように出かけた記録でなのです。途中、人生の岐路にも出会い少々ペースダウンした時もありましたが、現在は車も大きなものに取り替え、多くの人と知り合うためのものとして無線の趣味を追加し、まさに温泉、無線、キャンプの楽しみが融合して今の状況が出来上がっています。

 温泉人(オフロウド)とシャレながら、温泉を中心に自然と人との出会いを楽しんでいこうといったことについて、ここでは温泉を楽しむ上で日ごろから心掛けていることについて次に書き留めて置こうと思います。

 まず第1には「月曜から金曜までは、情報収集とイメージづくりの時間」としていることです。新しい温泉について行き帰りの電車のなかで雑誌等で紹介されているものを気にとめつつ、暇を見つけては地図上に情報を一元化していきます。最近は無線機を利用し温泉の話しの出来る人をすこしづつ集まってきました。現在、居間の戸の裏側に張りつけた日本地図上には、入った温泉を黒と赤の丸印でマークし、また利用したキャンプ場を青の三角マークで塗り潰し、さらに無線で繋がった市や町は電波帯毎に色分けのアンダーラインを引くことによって、それらを一望できるようにしています。互いのマークの関係をみているうちに新しい発見に繋がることも時折あって、なかなかおもしろいものです。
 最近本屋で見るなにげない雑誌には、安い料金で入れる温泉の風呂が掲載されるようになってきました。数年前は、まだ温泉に関する情報が少なく、入浴だけの利用の場所を捜すのは大変でした。(その分、隠れ家としての貴重な宝物であったが、宝物をそのままに感じて湯をいただくには、皆と同じ行動パターンではできないので、わざとずらして楽しむようにしている)これらの集めた情報は、しっかりと行動のために役立つ情報つまりインテリジェントに仕上げてゆくことが、じょうずに楽しむコツといえます。毎日ながれているインフォメーンョン(素惰報)のままでは、「よし、やってみよう」といった行動まではつながらないものです。温泉情報を集めるには、雑誌、新聞、テレビ等公共の情報はもとより、山登りの途中に入った温泉の話し等で1、2時間も波長があって長話をした無線での出会いの人、また温泉の湯船で、そのひとの人生の中で出会った温泉談義に花が咲いた人からの現体験の話しを大切に頂いておきます。それを休日の行動をおこすのためのインテリジェントにまで高めるように、このような工夫を試行錯誤しながら心掛けているのです。もちろん、楽しみながらです。

 第2には「土日には、現地、現物、現体験を基本に、家にはなるべく居ない」ように心がけています。実際の湯の香りに、出会いに行くのです。日本の宝、地球の宝である温泉をキャッチして歩く、まさに「なにごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙溢るる。」といった気配を楽しみに、出かけて行くのです。

 私の温泉との関わり方の1つに「いろいろな人と直接に出会う場」がありますが、その土地の風土、歴史、方言、風習といった、いわば民族学とでも言うべきものへの興味をそそられ、人とのコミュニケーションを通して学ぶことがたくさんあります。次に、温泉の「自然と直接に肌で接する場」については、温泉そのものか地球上にはじめて姿を現したバージンウォーター(処女水)を含むものであり、自然との一体感を味わう絶好の場であるということです。我が家におけるこれら2つの温泉を楽しみとすることの意味づけにより、継続して温泉を利用し、その結果として、心身の療養が促進され我が家の健康管理の面からもおおいに有効なものとなっていることは確かなようです。

 現在、オートキャンプ協会、アマチュア無線協会の会員として社会との接点を持っているわけでですが、家族とともに出かけた温泉が200ヶ所を越えた今、そろそろ温泉協会の会員にもなってみようかなどとしゃれたことを思いつつ、東京駅近くの事務所を訪ねてみました。まずは温泉協会発行の図書「温泉必携」、「温泉療養の指針」、「日本の温泉地」、「世界の温泉地」をまとめて入手しました。これらの本の各ページは、苔に水が吸いこまれる如くに一気に読み込まれてしまいました。
 ヨーロッパの各地の温泉地では療養としての利用、アメリカではリフレッシュの場としての利用として位置づけられ、キャンプ場と隣接した役割を持っていることを発見しました。一方、日本においては、温泉とキャンプを一体にした場所は以外に少ないように思います。キャンプと温泉の発達過程がおのおの違っていたことによるのだろうかとも思いますが。ヨーロッパ、アメリカのこのような姿は、1つのリフレッシュの場として同時に発達したのでしょうか。それらの本によれば、日本人の温泉との関わり合いは歴史と供に多様な様相を呈しているようです。上流階級のまつりごとに使われた時代、庶民的大衆の中に根づいた発達、戦国時代の戦闘のための重要な拠点として位置づけられたとき、そしてクアハウスのように積極的に健康促進に役立てる利用法、ひなびた山懐で山水と供に秘湯を楽しむ方法、美人おかみとうまい料理に囲まれて楽しむやり方、といった現代の様々な展開へと続いているのです。

 ここで風土の違いによる、日本の各地の温泉の雰囲気の違いについて述べてみましょう。昨年の5月の連休はサマーランドでVIVAのキャンプをした次の日に、そのまま下関に向けてひた走り、結局のところ山陰から北陸にかけて日本海を延々と北上しつつ温泉&キャンプを楽しんできました。温泉街の中心を川が流れ、橋が幾本か掛けてあり、そのたもとには柳の枝がたれさがっているといった風景に多く出会ったのです。玉造温泉、三朝温泉など、日本の歴史の始まりに登場する温泉が数多く点在しています。おもしろいのは共同浴場のまん前、真下にストリップ劇場があるといった開放的な温泉場であることです。車で走る景色はレンゲ畑とこいのぼりのたなびくといった、日本古来の光景のなかに民家が延々とつづくものでした。途中に出ている道路案内は「至る京都」であり、山陰から北陸の加賀、富山へと、日本海の沿岸に京の文化がとうとうと流れている様子がうかがえ、再度温泉の文化面からも研究をしてみればなどと考えております。
 一方、今年の5月の連休は、関東から東北地方の各地を、青森を折り返し地点として回ってきました。こちらの方は那須火山帯を中心にイオウの香の温泉・草津温泉、那須温泉、蔵王温泉、玉川温泉酸力湯温泉とつづき湯の量も多くまるで体育館と思えるような大きな湯船を持ったものが多いことに気づきます。山あいの自然の中にたたずむといった趣の温泉で、湯治場が多く存在しているのも大きな特徴でしょう。

 この様に見てくると、わが日本に生まれたことを有難いなあと思っています。これからも、地球の宝物を有難くいただくよう、生活して行きたいと思う次第です。

 最後に、温泉&キャンプの融合した今後の姿を示すものとして、興味深い文を見つけましたので引用させていただきました。
 「温泉が、歓楽や遊興のみに利用されていた時代は、もはや終わろうとしている。病気の療養、健康増進のための保養、疲れをいやす休養。これらをすべて盛り込んだ温泉療養を中心に、スポーツ、レクリエーション、レジャーをプラスして、温泉地そのものがひとつの健康開発基地となる。これが、21世紀に向けた温泉の未来像なのだ。」(「見直される温泉療養」朝日ブックレット)

ビバ・フォーラム
これからのファミリーキャンプ
~クラブキャンプの脱皮のために~

8210 金澤 寛太郎

クラブが変質した事実を認めよう

 ビバキャンパークラブは、昨年から事実上の例会キャンプを止めました。会報も、ニューズレターの体裁に簡素化し、発行も不定期にしました。日本オートキャンプ協会は何故か、ビバが月刊の会報をやめるのを待ってたように、会報の発行を推奨したり、会報活動に熱心なクラブをコンテストで表彰したりするようになりました。ともかくクラブの低迷のカンフル的対策と考えたのでしょう、しきりに会長会議などで、会報の発行を奨励するようになりました。
 ビバはこういう中で独自の行き方を取ってきました。会報を出しても、例会にほとんど参加がなく、しかし辞める会員はほとんどないという、喜んでよいのか反省すべきか判断に苦しむような「現状」は改まらないと考えられました。つまり、会員がクラブに求めるものは、はっきり変化しており、メンバーシップから得られる便宜に対する期待は、会員との交際や仲間情報ではなく、キャンプ場利用上の便宜や用品の情報になっているという事実認識が背景にあります。クラブの存在意義を例会活動と会報発行でははかれない時代になったと考えざるをえないのです。いくら取りつくろっても、クラブはもう変質してしまったと考えたからです。いつかも会報に書きましたが「仲良しクラブ」の時代は終わったのです。大勢集まって、優越感にひたり、他との違いをお互いに確認しあうようなクラブはキャンピングカーや大型テントを誰でも使いこなすようになり、レジャーキャンプがここまで大衆化すると意味を持たなくなるからです。それは、マイカーが大衆化するまで盛んだった自動車オーナークラブが、クルマの普及の進展の中で姿を消したのと同じことです。キャンピングクラブも今や存在理由を失いつつあると言っては言い過ぎでしょうか。少なくとも、クラブが変質したという事実を協会加盟のクラブキャンパーは、明確に認識しなければならないと思います。
 しかし、キャンピングクラブがファミリーキャンプの普及と向上という一定の使命を果たしてきたこと、その実績から今、日本オート・キャンプ協会の社会的な評価が大変高まっていることも事実です。ですから、わたくしたちが、クラブは使命を終えたなどといっても、にわかには納得されそうもありませんが、これからは協会の事業もクラブよりも個人(家族)を相手にした内容に向かうことになるでしょう。家族単位の要望にこたえる情報サービスをその中心事業にするしか生きる道はないと思われます。ここで、認識を改めないと、次の10年の発展は望めないのです。わたくしたちビバキャンパークラブのこれからの方向の模索を重ね合わせて、「協会」の今後を展望も考えてまいりたいと思います。

ブームの中のキャンプの変貌

 この夏のキャンプ場の盛況はめざましいものがありました。またキャンプの遊び方もそれなりに質が向上してきました。皮肉にもブームの中でクラブキャンパーが目立たなくなり、クラブが例会をやりたくても場所がとれない時代になりました。何より象徴的なことは、協会が直接指導している大野路オートキャンプ場が、グループキャンプに制限を加え、サイトを分散して割当てて、一般キャンパー優先の管理を実施して好評であることです。また、環境庁管理のある国営のキャンプ場ではこの夏のピーク時に学校や団体のグループ利用が激減し、貸出しテントが3割も空いていたのに、持込みエリアは連日超満員で、シーズン中の利用傾向は貸出しと持込みが完全に逆転したということでした。実に、国民休暇村のキャンプ場利用者の7割は持込みの家族キャンパーになってしまったという事実は、変化の大きさを物語っています。もうファミリーキャンプは完全に大衆化の時代に入りました。
 変化は家族キャンプの内容にも読み取れます。いまだに、安売りテントの前に食料品や生活用品を入れた発泡スチロールの箱やダンボール箱をゴタゴタと並べて、野外遊びのルールに気がつかない類の、目を覆いたくなるキャンプもあります。しかし、これは一部であって大多数はアウトドアムックの紹介記事そのままに豪華装備を並べたり、自分の美意識にこだわった生活用品のレイアウトを楽しむといったレベルの高いものから、持ち物はまだ不揃いながら、家族のキャンプに賭ける意気込みが伝わってくるようなほほえましいキャンプにいたるまで、家族でゆとりを楽しむライフスタイルの定着がうかがえる時代になったことは、まぎれもない事実です。

家族の自己実現がキャンプの原点に

 これは、人々の生き方が多様になり、それぞれの人生に対する考え方の違いを大切にする時代、個人個人、家族それぞれの行き方や考え方を大切にする時代、家族それぞれの充実感の実現の仕方の違いが大切に考えられる時代になったことの現れだと言えるでしょう。言い換えると、 「家族のアイデンティティの確立」が人生の重要な目標になったということなのです。つまり、家族が自分たちの充実感をどうすれば創りだせるかその家族にしかできないやり方で実現し獲得したいと、強く願っているのであり、その願いや期待に応える一つの有力な手段が家族連れのアウトドアライフであり、ファミリーキャンプだということです。
 この家族は大変高い要求を持っています。ぜいたくともいえる期待を抱いています。「キャンプに期待するな」と決めつける人もいますが、間違いです。むしろ大いにキャンプに期待しましょう。イメージ豊かに自分のキャンプを歌い上げましょう。これからのキャンプは人間の自己実現という重い課題に対応するだけの、水準の高い、精神的な意味でぜいたくな遊びにしなければならないのです。キャンパーの精神性がこの遊びの重要なポイントなのです。期待が大きいこと、期待を裏切られることいずれもそのキャンパーの内面の遊び心や文化の問題であって、「期待するな」などというおせっかいがましい忠告は、キャンプの「イメージの遊び」としての本質を理解しないばかりか、折角のキャンパーの夢を踏みつける全くナンセンスな言藁です。
 我が家流の野外生活のイメージを豊かに描き、期待に胸をふくらませた自立した家族の、自由で余裕のある遊び心こそ、ファミリーキャンプの原点です。
 クラブに依存した他人指向型キャンプから、時代は大きく、いい意味の個人主義型キャンプへと動いています。クラブも当然こういう方向に変わり、協会は、そういうクラブの変化を踏まえた改革を迫られています。ファミリーキャンプのこれからは、ここから見えてくると思うのです。


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編 集 後 記

 今年の1月に行われた総会で、「VIVAキャンパークラブ10周年記念文集」の編集担当に指名され、4月にようやく企画書を書き上げました。なんとしてもVIVAとしての宝物を掘り出して形にすることができれば、の一心でまずは自分の考えをまとめ、メンバーの方々の心の風景をデッサンさせていただこうという気持ちで進めてきました。
 予定の10月から2ヶ月遅ではありましたが、なんとか形になって正直ほっとした現在です。(途中、仕事の関係でヨーロッパに出張するという予定外のことがあり、まとめの時間がとれなくなってしまいました。)
 力不足で、メンバーの方々からの原稿を十分に集めることができず、金沢会長の助けもあってようやく文集の発行にこぎつけることができました。なんといっても、原稿を出して下さった方々には、この場をかりまして厚くお礼申し上げます。
 編集作業を通じて、現在のVIVAのほとんどのメンバーは「子離れキャンプ」以隆のステージになってきていることを実感しました。また、世の中もオートキャンプブームではあるが、これまでのファミリーキャンパークラブの存在そのものと、そのあり方が問われるときであることも実感できました。

 どうなるのでしょう。このVIVAクラブの存在は、あり方は。このような問いに答えるヒントが、この文集全体に流れていると感じています。単なる記念文集ではない、まさにVIVAとして大切にしてきたこと、そしてこれからも大切にしていきたいことがまとまった随筆集、あるいは処世術の本とでもいえるものに近づいたと思っていますがいかがでしょう。

 地球環境問題・グローバリゼーション・アウトドアライフ・惰報化社会といった中で、大いに生き方、楽しみ方、ライフデザインといろいろあるこのごろですが、大いに語り合っていきたいものです。
 「クラブとしては何もしないクラブ」ではありますが、「こんにちは」の距離に集まれる仲間として、各ライフステージをアウトドアライフで過ごす仲間としてのお付き合いをよろしくお願いいたします。
温泉で、ゆっくりしてくることにしましょうか。よろしければ、ご一緒しませんか。では。

温泉人(おふろうど) 鈴 木 和 夫